プライドが高い集団では、自分の価値観と違う人に対しては表向きは同調するが、内心はその逆。
だいたい40年、50年生きていた人の価値観を変えよう何てこと自体が無理なこと。
その人が生きてきた時間は、その人そのもの。
どんな感じ方をしてきたのか、そしてどんな行動をしてきたのか。
結局は、行動心理学的に、その人の行動がその人を決定づけてしまう。
これが20代ぐらいなら柔軟性もあるので、自分を見つめ直して変化を遂げることも可能だろう。
しかし前述のように50代ぐらいの人にそれを求めるのは無理な話。
だったらどう接するのか?
ようは、自分と同じ人間はこの世の中にはいないということを認識することからスタートしなければならないだろう。
そして、価値観が違う人は、「そういう人間なんだ」と思うこと。
先日ラジオで言っていましたが、「その人がアフリカ出身だったら、アフリカではこうなんだ・・・と思うでしょ。」と。
なるほど・・・。
この考え方は、自分を納得させるためにはとてもわかりやすい。
ネットの社会でもリアルでもそうですが、ある意味割り切る事も必要なのです。
いくら自分の意見を言ってみても水と油。
だったら、よりよい人間関係を作ることも人間として大切なこと。
愚痴しか言えない人は、所詮そこどまり。
どんな生き方をしたいかが、その人の行動を決める。
人への中傷などは、結局は自分の思いと違うからそう思うだけのことで、気にしなければ、言葉を換えれば気にしないでいる心の太さがあれば、乗り越えられること。
しかし現実はこの理屈通りには動かない。
気に障ることが見えれば、そこがクローズアップされてしまう。
明らかに人間的におかしいと思えば、主張もありですね。そこで人間関係が壊れてしまうようであるならば、それまでの人だと思えばいい。
自分や相手が傷つかないように・・・・・としか考えられない人は、コミュニケーションは上手くはないでしょう。
いつか崩れる。そして自分が一番よく分かっている。
さて、明日の自分はどう行動するでしょう。
それはしょうがないです。
さて、Twitterのアカウントをしばらく休止することにしました。
メインのアカウントはコミュニケーション用にと思っていたので音楽ネタから、日常的な話までツイートしていたのですが、どうもそれに時間をとられすぎている自分がいることに気がつきました。
ちょっと遅いですね・・・。
ライブをする会場も昨年でなくなり、他ではなんとかできそうですが、現実的にはなかなか難しいのです。
田舎ならではですねこれは。
ですが今年中には復活しようと思っているので。その時は是非応援よろしくお願いします。
Twitterの話が出たのでもう一つ。
休止するに当たって、フォロワーさんをかなりの数アンフォローしました。
予想通り、フォロー数は減りましたね。
誰かとつながっていないと不安な人達がいること、それとTwitterで商売している?人などはてきめんでしたね。
一度淘汰したのは正解かもしれません。
明日になればもっと減るでしょうしねフォロワー数は。
ですが、そんなことはどうでもよいことなのです実は。
新しいアカウントを数ヶ月前に作り、そちらは情報収集ツールとして活用しています。
Facebookやミクシーなどの村社会と違い、リアルタイムで情報が入ってくるので、どの情報を選ぶのかはまさに自分次第。自分がフォローされても、特にリフォローしようという意識もないのです。
この新しいアカウントでは、信頼できる人を厳選してフォローしてみました。
知っている人はいません。
3月11日から日本は大変な国難を迎えています。国民がもっと考えなければいけないと思うのです。
誰かが何か言えばそれを批判するだけでは何も変わらない。
まずは自分の考えをしっかり持つこと。そのために事実を検証することが大切だと感じています。
メインアカウントにツイートするのはいつになるでしょうか?。
今のところは全くの未定です。
音楽活動始まってしまえばツイートするかとは思いますけど。
Twitterのように情報が流されないホームページやブログもしっかり運営していきたいと思っています。
では、これからもよろしくお願いします。
東北の太平洋側には沢山の知り合いがいるのでその安否を確認するには携帯しかないわけです。
ですが、その携帯がつながらない。
我が家では私だけがソフトバンクなのですが、docomoは通じるのにソフトバンクは全く駄目でした。基地局の少なさが原因していると思われます。この点はこの地震を教訓にしてなんとかしてほしいと地元のソフトバンクには伝えましたが。
地震が起きてテレビで情報を得るのは不可能です。なにせ電力がストップしてるわけですから。
今も宮城や岩手での人たちの中には寒い夜をおくっている人達が沢山いるのです。
ツイッターで助けを求めるツイートが数多くありましたが、携帯が使えない状況ではそれも意味はないのです。電池もない、電気もこない・・・ましてや情報もない・・この不安の中で26時間生活していました。
そんな生活の中で唯一役だったのがラジオ。それもAM放送です。
地元の放送には必要な情報が多数ありました。被災者が必要としているのはまさにそれなのです。
津波がどれほどだったか・・死者は何名だったのか・・・などは確かに必要な情報ですが、今まさにその現場にいる人達にとってはそれどころではないのです。
食べるものや、家族の安否確認・・・生きていくための情報・・・これが何より一番必要。
それをやっていたのがAMのラジオだけだったというか・・・それしか情報がなかったのですが・・・、テレビを見て確かに地震のすごさには言葉も出ませんでしたが、全部とは言いませんが、そういう情報を流して欲しいのです。
どこにいけば食料があるとか、携帯が通じなくても、ここに行けば電話が通じるとか・・。そんな具体的な情報が必要です。
誰も予想しなかった大地震ですからトラブルもあるでしょう。ですが、命を救うためにマスコミは考えて報道して欲しいのです。一方通行だからこそそのよさを生かして欲しい。とかくマイナス面だけがクローズアップされていますが。
私の知り合いも、津波でどうなっているのか分かりません。
一人でも助けられる命を・・・・そんな思いです。
タイトルからはかなりずれてしまいました。地震についての備えですが、今回の地震で必要だと思ったことです。
①ラジオ
②懐中電灯(一つよりは、数があった方がいいです)
③携帯を車で充電するための車載バッテリー機器
④インスタント食品(ともかく食料は調理がすぐにできるものが必要です)
⑤携帯電話(命をつなぐ大切なライフラインです)
⑥ろうそく(火事になったら・・という思いはあるとはあるとは思いますが、かなり明るいし長時間使えます)
⑦反射ストーブ(これは明かりにもなります)
⑧毛布や布団
⑨ヒートテックなどの下着
東北地方は、寒さがまだありました。寒さをしのぐのに電力なしではなかなか厳しいものがあります。
上述のものがすべてそろえられれば何とかなるとは思いますが、コンビニでもそういう場合は電池はないし、必要な物は手に入りません。携帯の充電などは町や市の重要スポット(市役所や防災センタ)で対応してくれるところもあるようでした。
電力は一番重要なところから復旧します。電力の復旧は町や市で順番を決めているところが多いはずです。NTTなどが役場や市役所に無料の電話を設置してくれましたがそれを伝える手段がないというのが現状でした。
今後、どうなるかなは全くの不透明です。
ですが、具体的なプランを早急にたて、一日も早くゆっくり休める環境を作ってあげることが大切だと思います。上に立っている方はかなりの疲労感だと思います。中傷されることもあろうかと思いますが、大切なことは、人命です。涙なしでは見ることができないあの状況の中で、少しでも希望の光をと願うばかりです。
東北地方の予備校生が逮捕された事件が大々的に報道されている。
ネット上やテレビでは、賛否両論あるようだ。
あるテレビを見ていてびっくりしたのは、
「中国ではこんなグッズもあります!」
という報道。何か一方通行的な報道には違和感を覚えました。
さて、今回の事件。
受験ということはさておき、色々な形でカンニングは行われているのだと思います。もちろんすべての学生という意味ではありません。
小さい紙に書いて手のひらに忍ばせておいたりとか。
でも、もしそれが見つかったとしても逮捕はされませんねきっと。
今回逮捕されたのは、社会的な影響を考えてこのことでしょう。
形は違いますがネットという媒体を使ったこのような事件は模倣犯を生む可能性も否定できません。
用意周到に考えていたのであれば、誰もが見るようなサイトに投稿はしないだろうという予測あるとは思いますが、私は逆の意見です。
簡単にネットにつながるという今の社会の現実と、サイトにアップすることでどうなるかなど全く予想もしなかった・・・言葉を換えれば「知らなかった」・・・と言った方が正しいと思うのです。
ネットモラルとよくいいますが、学校の先生でさえ今のネットの現状を知らない方が多いことでしょう。
スピードが速いですから。ですが、そこは子供にとっては興味のあること。
学校側は知らなかった・・・予想もできなかった・・・とはいえないはず。
責任転換ですねそれは。教えるべき内容をしっかりおさえるべきです。学年が上がれば当然興味も高くなるわけです。
ネットサーフィンしてると、ある高校の部活動のサイトでは実名でブログがアップされていました。
学校側は認識しているのでしょうか?子供たちは危険性を全く認知していません。
便利性と危険性は表裏一体。
日本の報道にも問題がありますね。ある局の報道はまさに弱いものいじめ的にうつりました。
ネットの中での会話を見ていると本音で確信に触れているものが多くあります。
今回の事件を起こした受験生を庇護する気はないですが、表に出ないか出たかの差だけです。
19歳という年齢を考えれば、自分の犯したことはどういうことなのかをしっかり受け止める必要があるでしょう。
そして一番考えるべきは、大人でしょうね。子供のせいだけにはしないでほしものです。
今年は本当に色々な事があり、考えさせられることが多々あったように思います。
双方向性・・・これは一方通行ではない伝達のことだということもできます。
脳は、人間のすべてを司ります。すべての人間の行動は脳が司っているわけですから。
脳は自分だけでは動くことも話すことも出来ません。それゆえ、人間の体を借りてそれを実行に移します。
反射という現象はちょっと今回は省きますが、脳という命令系統について考えてみました。
脳は命令を出すだけだけではなく、出した後の手や足や鼻などの五感で感じたものを感じます。
つまり「痛い」とか「柔らかい」とかですね。
そこではじめて、実感として伝わるわけです。つまり命令を出せば必ずフィードバックがあるということ。
今の世の中を見ているとこの感覚で動いている人が少ないのではと思ってしまいます。
この「脳」を仮に一人の人間だと仮定します。
その人は、部下だったり弟子だったりいろんな方面に指示を出します。
その部下が感じたことを感じることはもとより、心の痛さを感じることはほぼ不可能でしょう。
でもどうでしょうか。人が生きていく中で、その人の感じたことを100%とはいえないまでも、感じようと心がけている人間は、信頼を得ることが出来るはずです。
「こんな事もわかってくれるのか」
「このことに気づいてくれている・・・・・」
など。目に見えないことを察する力とでもいうのでしょうか。でも実際はそうではないですね。その人の行動を見て感じることが出来るわけです。
指示や命令は出すけれども、指示された人や命令された人の心が全く分からない人間は、上に立ってはいけないと思うのです。自分の器は自分が一番自分がよく分かるはずですから。
人間の脳のように感じることが出来れば人を動かすことができるでしょう。それも人の心を。
ですが、感じられない人は、機械と同じです。
そう言う人は、どうして自分が批判されているかが分からない。大切なのは何か問題が起きたときに、その人のせいにするのではなく、もしかしたら自分にも問題があったかもしれないと振り返ることが出来る人です。
さて、皆さんはどうでしょうか?