上から目線の人は、人とのコミュニケーションは上手いとはいえないと思うのですがどうでしょうか?
どんな人とも、上手に会話が出来る人がいます。
それは多分、自分だけを出さない・・聞き上手なのかもしれませんが、ただ聞いているのではない。
相手の話を聞いて、共通項を見つけることが上手い人なのでは。
ネットの中でも同じ事が言えます。
自分という存在を常にアピールしたい人。寂しさから誰かと繋がりを持ちたいと思う人。そしてあわやくば「釣り」という行動に出る人。
多分、この三種類なのかなと最近思いますね。
音楽の世界でも同じ事が言えると思います。
会話が出来ない人・・または会話をしようとしない人はまずもって音楽にならないということ
技術的なことは練習する時間とバイタリティーがあればある程度克服できるかもしれません。
ですが、人が生きてきた・・またはその人自身は年をとればとるほど、自分のスケールを変えようとはしません。もちろんすべての人ではありません。ごく一部だとは思います。
経験が新しいことを拒むこともあり得るわけです。
ですがそれでは、コミュニケーションはとれない。「今の若い者は・・・」と言ってる人は、その時点で「色眼鏡」で見ている。確かに、そう言う面があることは間違いのないこと。だとすればアプローチの仕方を変えるとか、もっといろいろと方法論があるはずなのです。異端児はその時代ではそのように思われますが、ビートルズの曲が音楽の教科書に掲載されるなんて誰が想像したでしょうか??。
マイナス面だけを見てしまっては、その人の本質は見えないもの。ましてやトップに立つ人間は力量を測るスケールを「自分」という存在だけに頼っては駄目なのではないかと。
自分が生きてきた価値観とはかなり変わってしまっている部分は私も感じます。
「あれ??」と思うことも多々あることは同じ。
「流行」と「不易」という言葉があります。
どんな時代であっても変わらない物。流行は変化する物。使い捨ての流行が今は多いと感じています。外見だけで売れてしまう時代とも言えるかもしれません。それはおかしいですね。
グラビアアイドルの女性なんてどのくらいの期間注目されるのでしょうか?またはアイドルと呼ばれる人達とか。
実力があっても評価されない人が沢山います。お金にはならないのかもしれませんが、正当な評価をされていない。これもある意味コミュニケーションを阻害している要素なのかもしれません。
「自分」がテレビのドラマの主人公だったらどう映るのかと考えたことがあります。
そんなことは実際はないのですが(笑)。
でも、誰かに評価して貰うためではなく、自分が見て納得できるかどうかのほうが、とても大事ですね。
以上、とりとめのない私見でした。