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JAZZの話題から日常的な話題まで・・・基本的にはジャズなのですが♪
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祖父の兄が今日亡くなった。
くしくも、祖父の命日と近い。

私の町で最高齢の祖父の兄は、いつもにこにこしていたイメージしかない。
最近では、めっきり弱っていたらしく、病院通いだったらしい。
祖父や祖母が生きてきた人生を誰よりもよく知っていた・・理解していた人だと思う。

何年生まれなんだろう?
祖父は明治43年だから、その前、多分、明治30年代だろう。

祖父は祖母亡くなったときに、祖母との出逢いの時の話をしてくれた事を思い出した。
それはまるで、歴史という時間の流れをリアルタイムに感じられるような話だった。
男としての生き方、いや・・・人間としての生き方を、淡々と語っていたのだ。
その日、祖父は立ち上がるときに足を絡ませてしまい、怪我をした。まるで、祖母がそう仕向けたように。

その祖父も、祖母が亡くなって一年後に亡くなった。
食事の時間には、どんな料理でも「美味しい、美味しい」と言って、にこにこしながら食べる祖父だった。

その祖父を一番理解していたのが、祖父の兄だったように思う。

人の人生とはなんだろう。
生まれて・・・そして死ぬ。

この定められたものから決して逃れることはできない。

でも、定められた人生の中で、その人が生きてきた証は、次の世代にしっかりと受け継がれている。
私の体にも、祖父や祖母の血が流れいるのだから。

どんな巡り合わせか、ちょうどテレビでJINー仁を見ているときに祖父の兄が亡くなったという電話がきた。
野風さんが、子供を帝王切開で産んだちょうどそのあたり。

一方は命が芽生え、一方は命の光が消えていく。

生命を与えられた者は、自分らしく生き、そしてこれからの未来を生きていくことができる。
生と死の両方を感じられる、今現在生きている私は、どちらにも涙が流れてきた。

激動の時代を生き、明治、大正、昭和、平成を生きた祖父や祖母、そして祖父の兄にあらためて、感じるところがあった瞬間だった。

父は涙を見せなかった。父なりの思いはあることは顔を見ただけで分かった。
今、祖父の兄の家に行っている。
家族や親族が一人、また一人いなくなるという現実は、これからもなくなることはないだろう。
だからこそ、生きている私たちは、今を精一杯生きなければと思わずにはいられない。

小さな町の、誰も知らない一人の老人の死。
でも、彼を忘れることはないだろう。安らかに・・・・・・・・。
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