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JAZZの話題から日常的な話題まで・・・基本的にはジャズなのですが♪
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今日はあえて、普段通りの会話でツイートしてみた。
私の母の病状を知っている人は少ないので、気晴らしにはよかったかもしれない。

いよいよ明日、手術。
気丈な母も、さすがに昨日は寝付けなかったらしい。
今日は安定剤を処方されたようだったのできっと、眠ることができただろうと思うのだが・・・。

Twitterも最近は距離を置くようになり、気が向いたときにツイートするようにしている。
ある意味、それが私的には一番使いやすい方法なのかもしれない。
リアルの世界を充実させることが、ネットが邪魔するようでは全くもって筋違い。

朝から夜中までずっとネットに住んでるような人もいるが、そのつながりが切れたときに、その人達は何を思うのだろうと思ってしまう。
人の表情や、しぐさ、そして、会話の中の心を自分の五感で感じることが人間として一番大切なのではないだろうか。

人の一挙一動が気になり始めたらきりがないこと。
世の中には色んな人が存在するのだ。それら一つ一つを否定したところで、実は何の解決策にもならない。
人が困って、それでどうリアクションするのかを楽しんでいる人もいる人もいるはずだから。
これは悲しい現実としかいえないが。でも実際には存在するだろう。

しかし、そういう人達はリアルの世界では、「羊の皮を被った子羊」。

人生に・・・生き方に「絶対」という基準やスケールはないのだ。
自分のスケールがどのくらいのキャパがあるかによる。
狭い人は、小さいことが気になるし、大きい人は、自分のベースが崩れることはない。

ネットにあれこれ左右されない生き方を学ぶ必要が、現代の人には必要なのだと感じる。
心が見えない会話は、上澄みみたいなもの。
中には、行間から相手の心を読むことができる人もいることはいるが、少数だろう。

もっと、実際に人と会って話をし、心を感じる生き方をしたいものだ。
「常識」ではなく「良識」が必要とされているのかもしれない。


母が今日から入院。
今日は、主治医の先生から術式について説明を受けてきた。
初期の乳癌と言うことで、不幸中の幸いではあるが、やはり昨年、父も癌の手術を受けているため、説明を受けるまで安心はできなかった。

病室につくと、なにやら知らない人と話をしている母の姿があった。
お風呂の使い方が分からず困っているときに教えてくれた妊婦さんだったようだ。
早産の恐れがあるということで心配していると言うことだったが、母にとってはいい話し相手になっているようだった。

不安なときほど、一人ではないという安心感が必要だと感じる。
生まれて初めての入院、そして手術という現実に、多分、今日は、ゆっくりは寝れないような気がする。

主治医の先生は、とても人当たりがよく、患者を安心させる話し方をする先生だった。
まだ若い外科医だったが、震災前は東北大学病院に勤務していたらしい。
人の命を助けることができる医者という存在にあらためて頭が下がる思いだった。

手術は4時間かかるらしい。
幸いにもMRIやCTの検査ではリンパ節転移はなかったようだった。

母の癌が分かるまで、我が家に巣を作っていた鳩のことを思い出した。

「鳩が巣を作る家には幸せが来るそうですよ」

そう教えてくれたのはTwitterのフォロワーの人。でも、ある日突然、いなくなってしまった。

でも・・・・・・・・・・・・・・・・それは、母の癌の状態を一番軽く済ませるためだったのかもしれないなと思い始めた。きっと、次に困っている人の所に、あの鳩は飛び立ったのかもしれない。
そう思うと、なにやら、不思議な感覚に。

もう一度あの鳩に会いたくなった


三年前、慢性硬膜下血腫で私は手術をした。
頭が割れるように痛くなり、寝ることも立つこともできない。
当初は風邪だと思い、内科に行き風邪薬を処方されたが、いっこうによくなる気配がない。
職場の近くに脳神経外科ができたことを思いだし、軽い気持ちで受診したところMRIで病気が発覚。
その日のうちに、大きな病院を紹介され、手術。
生まれて初めての手術、入院という時間の流れがあまりにも早かったのを思い出す。

三年前の5月7日の事だった。

それから、二年の月日が経ち、昨年、父が胃がんの手術を行った。
酒もたばこもやらない父だったが、かなりステージは進んでおり、胃の全摘出および脾臓と胆嚢の切除という術式だった。当初、術後の心配をしたが、さすがに半年は、辛い日々が続いたようだった。
そんな父も、先日の地区の運動会では、なんと100Mの障害走で1位になったらしい。
昔、力仕事をして体力があるのだとつくづく思った。
私なら、絶対に無理だろう。
食欲もあり、胃がないのにも関わらず、私よりも食欲がある。新しく胃が再生されたかと思うほど。

そんな日々から1年が過ぎ、父も元気になった。

ところが、我が家の悲劇はそこでは終わらなかった。
春に健康診断を受けた母が今度は乳がんで手術しなければならなくなった。

どうして?????

頭をよぎったのはこの言葉だけ。
今日も検査のため病院に行ってきたのだが、肺活量もあり、そのほかの部分はいたって健康らしい。

どうして人は癌になるのだろう??

しかし、そんな家族の思いをよそに、母は以前と変わらぬ表情で生活し家事を行い、庭の花に水をあげていた。

父の時も思ったが、どうしてこんなに強いのか・・・・。
精神力が並大抵ではない。我が両親ながら、全くの予想外。
バタバタしてるのは、まわり。

幸いにも母の乳がんは、初期の段階らしい。
でも乳房の全切除になるということだった。みんなが健康で安心して過ごせることは当たり前のことではないのだということを、ここ数年で嫌と言うほど感じた。

それでも、前を向いて歩こう。今の自分を失わずに。
そう、行動で語る両親には頭が下がる。
人は、その人の行動を見て感じるのだという格言は、現実と向き合ったときにはじめて実感するものだ。

6月は、どんな月になるのだろう。
まだ予想もできないが、一つ言えるのは、希望を失わないということだろうか。
今日が終われば、また明日がやってくる。そして次の日も。
時間の流れは止まることはないのだから、自分も止まって入られない。
明日を見ていこうと改めて感じた今日という一日だった。


祖父の兄が今日亡くなった。
くしくも、祖父の命日と近い。

私の町で最高齢の祖父の兄は、いつもにこにこしていたイメージしかない。
最近では、めっきり弱っていたらしく、病院通いだったらしい。
祖父や祖母が生きてきた人生を誰よりもよく知っていた・・理解していた人だと思う。

何年生まれなんだろう?
祖父は明治43年だから、その前、多分、明治30年代だろう。

祖父は祖母亡くなったときに、祖母との出逢いの時の話をしてくれた事を思い出した。
それはまるで、歴史という時間の流れをリアルタイムに感じられるような話だった。
男としての生き方、いや・・・人間としての生き方を、淡々と語っていたのだ。
その日、祖父は立ち上がるときに足を絡ませてしまい、怪我をした。まるで、祖母がそう仕向けたように。

その祖父も、祖母が亡くなって一年後に亡くなった。
食事の時間には、どんな料理でも「美味しい、美味しい」と言って、にこにこしながら食べる祖父だった。

その祖父を一番理解していたのが、祖父の兄だったように思う。

人の人生とはなんだろう。
生まれて・・・そして死ぬ。

この定められたものから決して逃れることはできない。

でも、定められた人生の中で、その人が生きてきた証は、次の世代にしっかりと受け継がれている。
私の体にも、祖父や祖母の血が流れいるのだから。

どんな巡り合わせか、ちょうどテレビでJINー仁を見ているときに祖父の兄が亡くなったという電話がきた。
野風さんが、子供を帝王切開で産んだちょうどそのあたり。

一方は命が芽生え、一方は命の光が消えていく。

生命を与えられた者は、自分らしく生き、そしてこれからの未来を生きていくことができる。
生と死の両方を感じられる、今現在生きている私は、どちらにも涙が流れてきた。

激動の時代を生き、明治、大正、昭和、平成を生きた祖父や祖母、そして祖父の兄にあらためて、感じるところがあった瞬間だった。

父は涙を見せなかった。父なりの思いはあることは顔を見ただけで分かった。
今、祖父の兄の家に行っている。
家族や親族が一人、また一人いなくなるという現実は、これからもなくなることはないだろう。
だからこそ、生きている私たちは、今を精一杯生きなければと思わずにはいられない。

小さな町の、誰も知らない一人の老人の死。
でも、彼を忘れることはないだろう。安らかに・・・・・・・・。

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