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JAZZの話題から日常的な話題まで・・・基本的にはジャズなのですが♪
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今年は本当に温かいお正月を迎えることで来ました。関東に住んでいたときにはそれが当たり前だったのですが、東北はそんなことはめったにないのです。保存食が多いのも東北ならでは。
昔の人はそうやって生活していたのでしょうね。

お節という文化は多分、私の地域にはなかったと思います。
小さいときに食べたことは無かったですから。テレビを見て、お正月ってこうやってお節食べるんだ・・・と思っていました。所変われば品変わるとはいいますが、本当にその通りです。
ですが、その地域で培われてきた伝統も大切なのではと思う今日この頃です。

P1060095.jpg



















今日のお節の前菜です。
鱈を存分に使って料理したとのことでした。シラスは鰹だしでにたもの。これは結構美味しい。しょっぱくなりがちですが、シラスの味がしっかりあります。
やはり素材の味がないと美味しくなはいですね。サーモンに大根を巻いたものかなりいけます。さっぱり感があるし臭みが消えますね。

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今年の我が家のお節です。父が昨年の6月に手術したこともあり、かなり気合いを入れて作ってくれました。こういうのも表現力なのでしょうね。
先日、和食のお店に夕飯を食べに行ったのですが、ちょっと食べただけで自分なりのアレンジを思いたようでした。恐るべし・・・・・。ですがそういう感覚は私もよく分かるので、どんなアレンジをするのかと楽しみでした。
できあがりは予想以上。もうすでに寝てますけどね(笑)。明日から仕事なのだそうです。忙しいところ頑張って作ってくれた妻には感謝ですね。

P1060100.jpg



















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紫芋は最近、こちらの地方でも販売されるようになりました。
色がとても綺麗ですね。
和食は見て楽しむというのも大切な要素。日本の和の深さはこれ以上だとは思いますが、作ってくれた人の心がこもっているところがお金では買えないところですね。
父も喜んでいました。今はこたつで寝ていますが。

どれどれ、私も眠くなってきました。
皆様、よいお正月を!
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今年も残すところ後数時間となりました。
今年は本当に色々な事があり、考えさせられることが多々あったように思います。

双方向性・・・これは一方通行ではない伝達のことだということもできます。

脳は、人間のすべてを司ります。すべての人間の行動は脳が司っているわけですから。

脳は自分だけでは動くことも話すことも出来ません。それゆえ、人間の体を借りてそれを実行に移します。
反射という現象はちょっと今回は省きますが、脳という命令系統について考えてみました。

脳は命令を出すだけだけではなく、出した後の手や足や鼻などの五感で感じたものを感じます。
つまり「痛い」とか「柔らかい」とかですね。
そこではじめて、実感として伝わるわけです。つまり命令を出せば必ずフィードバックがあるということ。

今の世の中を見ているとこの感覚で動いている人が少ないのではと思ってしまいます。
この「脳」を仮に一人の人間だと仮定します。
その人は、部下だったり弟子だったりいろんな方面に指示を出します。
その部下が感じたことを感じることはもとより、心の痛さを感じることはほぼ不可能でしょう。
でもどうでしょうか。人が生きていく中で、その人の感じたことを100%とはいえないまでも、感じようと心がけている人間は、信頼を得ることが出来るはずです。

「こんな事もわかってくれるのか」

「このことに気づいてくれている・・・・・」

など。目に見えないことを察する力とでもいうのでしょうか。でも実際はそうではないですね。その人の行動を見て感じることが出来るわけです。

指示や命令は出すけれども、指示された人や命令された人の心が全く分からない人間は、上に立ってはいけないと思うのです。自分の器は自分が一番自分がよく分かるはずですから。

人間の脳のように感じることが出来れば人を動かすことができるでしょう。それも人の心を。
ですが、感じられない人は、機械と同じです。
そう言う人は、どうして自分が批判されているかが分からない。大切なのは何か問題が起きたときに、その人のせいにするのではなく、もしかしたら自分にも問題があったかもしれないと振り返ることが出来る人です。

さて、皆さんはどうでしょうか?

私の母の実家はもとはラーメン屋だった。
物心ついたときからラーメンはいつも食べていたように思う。

祖父は、器用な人でラジオを組み立てたりアコーディオンを演奏したり、大工をしたりとマルチな才能の持ち主だった。そんな祖父がラーメン屋を祖母とはじめたのは何年前だったのか。

こだわりがとても強い人で、儲けに関係なく、麺の粉は一番いい物を使っていたらしい。

「美味しいと言って食べてくれる人がいることが嬉しいんだよ・・」

これが祖父の口癖。私も就職してから、よく同僚と食べに行ったが、お金なんて絶対にとらない。ただ「ご馳走様!美味しかったです!」この言葉が何よりの誇りだったようだ。

今から20年くらい前にラーメン一杯350円。他の店は500円ぐらいはしていたと思う。

「値上げしたら?」とさんざん母が言っていたが、がんとしてきかなかったらしい。祖父らしい。生き様をとても感じることが出来る祖父の姿は今でも脳裏に焼き付いている。

お盆も終わり帰省ラッシュも落ち着きを見せ始めている。
8月は終戦という日本人には忘れてはならない月だということは言うまでもない。

先日面白い記事を見つけた。

江戸時代の日本の人口は2600万人だったそうである。
これは歴史を学んでいれば・・または歴史書を見れば分かること。
そこで、実際に私の家族について調べてみた。

私が生まれたのは1967年。今は結婚して娘が一人いる。
私に両親がいるように、妻にも両親がいる。合わせて4人。

では、私たち夫婦にはおじいさんやおばあさんはどれくらいの数がいるのか。
計算してみると面白い結果になった。
27歳で結婚したと仮定しての話である。

5世代遡ると、その数は32人になる。
我が家の場合は、だいたい1859年頃らしい。桜田門外の変があったあたりということだ。

そこからさらに遡り10世代前まで遡ると、その数は、1024人になる。
西暦で言うと、だいたい1724年あたりになるだろうか。徳川吉宗が享保の改革を行っている最中?

タイトルにある「4.92人」とは何なのか?
現在の日本の人口を1億2800万人とすると、「4.92人」の血が繋がっていることになるのだ。
だいたい5人に一人の計算になる。

血が繋がっている同士で喧嘩をしているのはどんなものかとあらためて思い知らされる。
こんな事を数字という無機質なものではあるが考えてみるのもいいのかもしれない。
なぜなら、それは時間の流れの中で確実に存在したものであり、その時代に頑張って生きていた先祖がいたから今があるのだから。

彼らのDNAは現在まで受け継がれているのだろうなと感じるときがある。
よく言われる言葉に「血は争えない」というのがある。
子どもが父母から気質・性向を受け継いでいることは否定しようがない。血筋は争えないという意味。

しかし、少しずつ進化し発展していっているだろうと感じる。
人間はある時点で止まっているものではないはずだから。


小学校に入学したのは何年前でしょうか。
私が通っていた学校は、祖父も父も入った学校。
もちろん当時の姿そのままというわけではないが、火事があったりしながらも、その存在感は大きいものだった。

1年生の時。
隣の席に座ったのは、郡山から引っ越してきたという女の子。何故か彼女とは気があった。
馬鹿な話ばかりしたような記憶がある。

2年生の時。
私の今に繋がる恩師と出会う。

3年生から6年生。
ほとんど記憶なしww。

高校入学の時には、隣に座った女の子の受験番号を聞いてびっくり。
私は89番で彼女は49番。・・・「四苦八苦」・・。

今振り返ると、いろんな事が思い出されるが、よく考えてみると面白いのだ。

世の中は「偶然」という時空列の中に存在していると思えてならない。
私が小学生の時に隣に座った女の子は私が今住んでいるところで生まれなければ出逢っていなかったはずなのだ。
同じように彼女もこの地域で生まれていなければ私と出会っていない。
もっと言えば、私や彼女の両親が結婚して、この地に住んでいなければ・・・ということになる。
そう考えると、私の周りにいるすべての人間の存在は「偶然」ということになるのではないか。

人間というのはだから面白い。
この「偶然」という事象が毎日、無意識に自分の前にやってくるのだから。

この「偶然性」が「必然性」を生むことになることに、どれだけの人が気づいているだろうか。
「必然性」とは、人間が生み出した「心の繋がり」。

その人を見ると・・または一緒にいると、言葉にならないような感情が泉のようにわき出てくることがある。
その時に「この人と一緒にいたい」と感じたり、「この人と出逢ってよかった」と感じる。
その時は「偶然」だと思うが、人間というのは、その時の自分を定義づけてしまうことがあるのだ。
そうすることで、自分を納得させることができるから・・・いや、勇気や愛を感じることが出来るからと言った方がいいかもしれない。

「偶然性」は常にプラス的な要素をもたらすとは限らないこともつけたしておこう。
それでも、そのときの自分を否定しないこと。
なぜって・・・それは、それ以上のことは出来なかったはずだから。

さて

人が生きていくということは、この繰り返しでしかないと思う。
その中に、自分だけにしか見えない輝きがきっとある。

今日
全く知らないおばあさんと出会った。
私も知らないし、おばあさんも私のことは知らない。

「孫がね、私にくれたんだよこれ。・・・子供の笑顔っていいね。お兄さん子供いる?」

おばあさんの顔には、「幸せ」という言葉以上の笑顔があった。

人間っていいものだ。

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